4/11/2011

学ぶ人、学ばぬ人。

学ぶ人、学ばぬ人。
何が違うのだろうね。

学校の「勉強」のような記憶すればいいだけのことは学べるのかもしれない。
学べるってことと、勉強できるとか、記憶できるってことは同義なのか?!
そうは思えない。

人の立場になってモノを見る視点を持っていない多くの人は学ばない。
人の立場になる視点を軽視してる人は、自分の好き嫌いや感情や都合が先。
どっかの誰かが言ってたのか、本で読んだのか、そんな記憶ばかり増えてるだけで、結局、人として学んでいかない。

「この方が相手に喜ばれるんだ」、
「これは相手に手間をとらせっちゃうんだなぁ」とか、
「この人は間接的に伝えた方が直接伝わるんだ」、
「あとでより、すぐした方がいいんだ」とか、
「ハッキリしないって事を、ちゃんと伝えておけば猶予がもらえるんだ」とか、
「念のために再度連絡いれておけばよかった」
「わかってると思い込むより、確認した方がいいんだ」とか、

日々に経験から感じ、人の心を「受信」し、相手を思えば思う程、人はいくらでも学べる。

学ぼうと思えば、人生は日々進化を遂げるような出来事に溢れている。
こういった人の心を感じて学ぶことが、人生においてとっても大切なことだと思う。

人生は「他力本願」、他人ありきだと思っている。
ありふれた知識より、今日誰かに会って気付いたことの方がよっぽど未来を変える。
だからこそ「他の心に、心を向ける」ことが不可欠だ。

このご時世で、一流の会社ってどこ?
巨大な企業に勤めたら,豊かな人生になるの?
今のままいいって、今のままは本当に続くの?

そんなことより、人として一流を目指すことが、結局、豊かな人生になるってことだと思う。

オレの思う一流の人って、より多くの「人の心と生活を豊かにする」人。
そういう人は、どう考えたって豊かになる。
人と感動共有したり、豊かさをわかちあえるような最高の人生になる。
だからこそ「人の心に、心を向ける」、「人の視点を立つ」。

学ぶ人は学ぶ。
記憶するのとは違う。

記憶は忘れる。
本当の学びは忘れたりできない。

美味しいものを知った舌が、それ以下のものを美味しいなんて思える訳がない。
素晴らしい音楽を知った耳が、ありふれた音楽に反応する訳がない。
熱いやかんで毎回やけどしたりもしないし、靴を右左間違えて履く事もない。

それと同じように、
人に素敵な思いをさせる事も学べる。
嫌な気持ちにさせない事も学べる。
エネルギーを与える事も、奪わないことも。

学びたい。
学ぶ。
行動する。

その先に変わる。

日々学び素直に変わる、そういう自分でありたい。

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